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 恋泊村の藤兵衛との出会い

 1708年10月11日深夜、シドッティと船長以下7名は本船から小舟を出して、屋久島の南岸から上陸し、見張りの水夫2名を小舟に残して岸壁をよじのぼった。村に行く道が見えたところで一行は別れを告げ、シドッティ一人がその場に残った。船長らが小舟に戻り、本船に帰ったのは午前4時過ぎであった。

 翌日10月12日(宝永5年8月29日)昼過ぎ、いつものように松下に薪を伐りにきた恋泊村の藤兵衞は、後ろの方から声がするので振り返ってみると、サムライ姿の異国人とみえる異様な男が立っていた。驚きのあまり声もでない藤兵衞に向かって、異国人は手招きして水を飲みたいような仕草をし、身につけた刀を恐れている様子の藤兵衞に気づいて刀を抜いて地面に置いた。藤兵衞は持っていた水筒の水をやったが、一人では処理できないと考え、村にとって返し、途中で出会った平内村の五次右衛門と喜右衛門を伴って、再び異国人がいた場所にやってきた。

 3人は相談し、漂流民ではないかと推測して、藤兵衛の家に連れて行くことにした。異国人が疲れている様子なので、五次右衛門は刀を喜右衛門は異国人が持っていた黒袋を、そして藤兵衞は異国人に肩を貸して、恋泊村に戻り食事を提供した。

 やがて、薩摩藩の命令で捕縛されるまでの約10日間、異国人は藤兵衞の家で過ごしたと思われる。感謝の意味を込めて異国人が差し出した金貨は決して受け取ろうとせず、村人は異国人の世話をした。

 その後、江戸切支丹屋敷で殉教するまでの日本での6年間のなかで、シドッティが普通の日本人と自由に触れ合った時間は、この屋久島恋泊での日々だけだった。

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