「屋久島シドッティ記念館」設立趣意書
目的
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屋久島の歴史と自然と人をつなぐ共感空間の構築
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シドッティ神父の生涯とその偉業を国内外の多くの方に知ってもらうこと
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地域の歴史を顕彰することで屋久島の島おこしにつなげること
背景
ユネスコの世界自然遺産登録地屋久島は豊かな自然に抱かれた屈指の観光地だが、一方で里の歴史文化の掘り起こしと継承もまた島を語る大切な要素である。江戸時代中期に屋久島に上陸したイタリア人神父と島民との交流史もまた例外ではない。
1708年10月11日、イタリアはローマを出立してから5年目に宣教師ジョバンニ・バッティスタ・シドッティ(1668−1714)は鎖国日本の扉を開こうと単身、屋久島恋泊村(現屋久島町小島区恋泊)の海岸に上陸。長崎を経て、江戸で新井白石の尋問を受けた後に切支丹屋敷に幽閉され、禁じられた洗礼を老夫婦にほどこした咎で殉教した。
シドッティ神父の日本における時間は6年間と短かったが、上陸直後の屋久島の村人たちとの交流、切支丹屋敷での老夫婦との時間、そして新井白石が神父から得た情報をもとに記した『西洋紀聞』など、日本史に忘れえぬ大きな足跡を残した。
そして、奇しくも没後ちょうど300年にあたる2014年夏、切支丹屋敷跡(東京都文京区)から発見された3体の遺骨がDNA鑑定の結果、シドッティ神父と老夫婦のものであることが判明し、世界中を驚かす大きな話題となったのは記憶に新しい。
こうした経緯の中でシドッティ神父の列福への期待も高まり、屋久島教会周辺には神父の足跡を求めて国内外から巡礼者のみならず一般観光客も多く訪れるようになった。屋久島では過去40年近く、毎年11月23日に教会と屋久島町、小島区の共催で「シドッティ神父上陸記念祭」が細々と開催されてはいるが、常勤の神父不在で、シドッティ神父の生涯を伝え、人々が集い交流する場が少ないという残念な状態が続いている。
内容
「屋久島シドッティ記念館」の建設(予算5000〜6000万円・2024年秋竣工予定)
資金調達
・SNSを使ったクラウドファンディング(日・英・伊・仏・韓など多言語発信)を主に活用して国内外に向けて数回に分けて寄付金を一般募集する。
・別途募金窓口を設けカトリック教会、地域住民、支援団体、賛助会員による協力・協働
を図る。
推進団体
屋久島住民が主体となった非営利の法人を推進の母体とし、国内外の志を同じくする個人・団体の協力のもと、ホームページや講演を通じて広く発信する。
NPO法人やくしま未来工房「屋久島シドッティ記念館設立実行委員会」